ミカタ社立ち上げまでの経緯(荒川のキャリア)

弊社HPをご覧いただき誠にありがとうございます。
ミカタ株式会社、代表の荒川です。

本記事では、ミカタ社に少しでも興味をお持ちいただいた方に向けて、私がどういった想いをもってミカタ社を立ち上げたのかについてお伝えさせていただきます。

長文になりますが、是非最後までご覧いただければと思います。

不動産業界への入り口

私は新卒で投資用ワンルームの会社に入りました。
俗にいう「もしもし」系の会社です。

灰皿・椅子が飛び交い、毎晩タクシー帰り、毎朝上司を起こしにいくような環境でした。
ただ、会社の方々は男気溢れる方々が多く、大分可愛がってくれました(人によってはパワハラでしょうが笑)。

「上司の言うことは絶対」
「結果が出るまで死ぬまでやり切る」

私の社会人能力のこんな基礎はここで培われたと思います。

でも、ちょうど1年で退職しました。

元々30歳でセミリタイアを目標に会社選びをしていた、当時の私の目標は「お金」。
だから稼ぎがいい投資系不動産業界に入り、お金を貯めて、不動産投資をするというストーリーを予定していました。

拝金主義からお客様目線への転換

そんな拝金主義な私でしたが、実際にお客さんと接客するようになると「このお客さんに最適な提案がしたい!」と心変わりします。

そこから不動産投資はもちろん、株式・外貨まで勉強をして、広範囲の投資知識を基にお客さんに最適な提案をする営業を目指しました。

ただ、そこで気づいてしまったのです。

「自社の商品全然よくないじゃん!」と。

どう考えても、買わないほうがいい商品だなと感じてしまい、そこから絶望しモチベーションがだだ下がり…

上司の可愛がりも、ただただ辛いものになってしまいました。

そこで次のキャリアを模索しました。

勉強する中で不動産業界自体の面白さはとても感じていましたし、職場環境がいやというわけでもなかったので次も不動産業界は確定。

でも自社商品しか扱えないとお客さんに最適な提案ができない。

だったら仲介しかない!

ということで、業界でも大手と呼ばれる仲介会社に転職しました。

大手不動産仲介へ

そこでも朝の8時に出社し上司を出迎え、夜の2時3時までポスティングという日々を送りましたが、さすがは大手。

暴力はほぼなかったです。

1社目と比較すると楽勝だなと。

ただ、ここでも絶望2回目。
仲介の仕事自体は、お客さん毎に最適なことは何か?を考えてそれを実践できるのでとても楽しかったのですが、周りの方々は、

「客が金にしか見えない」

というタイプの方々ばかり。

人は人なのでそれはそれでいいかと思ってましたが、ここでは書けないようなことが多々あり、この環境にいたくないなと徐々に思うようなってしまいました。

今思えば自分発信でその環境を変えるよう努力すべきでしたが、自分自身営業成績がいいわけでは無かったので当時は発言権もなく…
というか今の数字はどうでもよく、いいことしてれば後から付いてくると考えていました。

(青臭い考え方ですが今でも大事だと思います。ただ、もっとやりようがあったなと反省もしています)

子供の誕生で退職を決意

そこから退職するのですが決定的だったのが子供ができたこと。
子供ができた報告を奥さんから受けたときに、

「こんな仕事している親父の姿を見せたくない」

と思い、奥さんに相談する間もなくその場で上司に電話。

「辞めます」と。

そこから次に向けて動いていました。

IT×不動産の可能性

不動産業界が嫌いになったわけでは無かったので、次も不動産業界に行くつもりでした。
お陰様で紹介・リピーターで1年~2年は食えそうだったのでフルコミをやろうと考えていました。

また新規も確保しなければいけないので不動産ブローカーとのコネクションを作ったり、1社目の先輩が仲介会社立ち上げるのでそこの手伝いをしていたりと。

本当にお客さんのためになる仲介会社を作ろうと考えていました。

ただ、そこでふと考えます。

「年間24組のお客さんと契約したとする。後40年働いたとする。自分がいい不動産会社を作ったとしても1000人くらいしか幸せにできなくないか?それが本当にいいことなのか?」

と。

そこから少し思考が変わります。
根本的なところから変えていかないとと。

政治家になるとか宗教作るとかいろいろ選択肢を考えましたが、ITを使ってビジネス側面から変えればいやでも変わるんじゃないか?と思いそこからITを駆使して何ができるかを考えました。

そこで出た答えは、「お客さんが知識武装できれば、不動産会社と対等に戦える」ということ。

その時の思考をもう少し具体的にすると、

売るにしろ買うにしろ、ちゃんとした相場を把握すれば大体の問題は解決する。

相場を知らないから騙される。
不動産会社から言われる相場は信じられない。
第3者が相場を伝えればいい。
でも個別には対応できない。

だったらWEB上で公開すればいいじゃないか。

という流れです。
そこまで考えてふと気づきます。
既に世の中にあるじゃないか。と

マンションリサーチ社へ入社

私も現場時代から、自分の査定額の根拠としてお客さんに見せていた「マンションナビ」というサイトです。

どういう経緯でそのサービスをやっているかわからないですが、仮に自分と似た思考でサービス運営してたらと考えると、いてもたってもいられなくなり、電話をして履歴書送って面接。

代表も元不動産会社で親近感が湧きながら話を聞き、考え方もほぼ一緒。
であればここで働きたいということでマンションリサーチに入社しました。

マンションリサーチに入社して一番最初に感じたことは、みんな綺麗ごとを言っていること。
※もちろんいい意味でです。

「お客さんのため」
「お客さんが喜ぶことをしよう」

こういった言葉が普通に飛び交っていました。

私がいた不動産会社では、そんな言葉はほぼ出てこず、数字・金の話しばかり。
もちろん不動産会社全部がそうでは無いですが、当時の私からすると初めての世界。
最初は、こんなんじゃ会社潰れるぞ、と思っていました。
(染まってないつもりが、大分染まってました)

でもそれがちゃんと会社の業績に反映されていくのを目の当たりにし、こんな世界があるんだと感動。
そうそう!これこれ!と毎日思っていました。

入社してすぐに営業責任者

そんなカルチャーショックを受けながら、私がやっていた業務は営業。

入社早々、

「営業責任者やってね」

と、言われました。

というか、その時営業できる人が私しかいなかったので、今振り返ると消去法だったと思います。

晴れて一人営業責任者になった私の仕事は、マンションリサーチが提供している一括査定を多くの不動産会社さんに導入いただき、満足していただくこと。

なので、新規で検討してる方から、既に利用している方まで、全国飛び回りお会いしてきました。
名刺を整理すると、最初の1年で交換した名刺は約1000枚。
セミナーや交流会は抜きでの枚数なので、1日に3人と新しく会ってた計算になります。

そんな風に全国の不動産会社さんとお会いしていましたが、そこでもまたカルチャーショック。
ちゃんとお客さんのことを考えている方々がたくさんいたのです。

自分がいた一部の環境だけを見て業界に対するマイナスイメージがこびりついてしまっていて、最初のモチベーションは、

「不動産業界を変えてやる!」

でしたが、そんな方々とたくさんお会いして、

「不動産業界も捨てたもんじゃないな」

と、徐々に変わっていきました。
だからもっと不動産会社さんの役に立とうと考えるようになりました。

不動産会社の課題を知る

当時感じていた不動産会社さんの課題は、営業が体系化できていないこと。

大体の社長は自分がTOP営業マンとしてずっとやってきたので、やり方を体系化して人に伝えるのが苦手。

  • だから、部下はやり方が分からず数字が出ない。
  • 社長は数字がいかないから焦る。
  • それで社長が数字をやる。
  • 数字ができない部下にストレスが溜まる。

体系化できていないから、こういった悪循環が生まれてしまいます。

当時扱っていた商材(売却一括査定)でも同様のことが起きていたので、であればそれを体系化するものを作ろうと考えました。

私一人だと作れないので、マンションリサーチの代表や、実際の現場で話を聞き、何社さんかで試させていただ、完成したのが「一括査定の勝ち方」という枠組み。

これを書籍にしたり、WEBサイトにしたり、セミナーしたりと多くの不動産会社さんに伝えていきました。

全ての不動産会社さんがよくなったわけでは無いですが、

「一括査定からの数字がよくなった」
「考え方が変わった」
「社員がやりやすそう」

といったお声も多数いただけたので、多少なりとも役にはたてたなと。

もっと多くの不動産会社様に役立つサービスを

ただ、不動産会社さんから見ると、一括査定にまつわる業務は枝葉の中の枝葉。

その改善だけですべてが解決するわけではありません。

不動産会社さんには客付け、一括査定以外の集客、人材採用・育成、ファイナンスと、もっとコアで大事な悩みがあります。
そういったお悩みをご相談いただくことも多く、自分なりの知識や聞いた話を駆使して解決を目指しましたが、商材として扱っていないため具体的ではない抽象的なことしかできずモヤモヤしていました。

そんな日々を送るうちに、マンションリサーチでは3年目で全体の責任者をやらせてもらえることに。

多大なプレッシャーと自分の力のなさを実感しながら刺激的な毎日を送り、100点満点では無いですが会社を潰さずに何とか1年間やり切りました。

やってみて課題もたくさん見えてきたので、2年目もやらせてもらえると思いながら準備していると、ふと代表から、

「自分で会社やってみない?」

との話が。

元々独立願望も強かったので、二つ返事で飛びつきました。

ミカタ社の誕生

ただ、それまで具体的に独立を計画していたわけではなく、何をやるかも決まっていない状態。
(正確には代表がやりたいことをやってほしいと言われましたが、自分発の物をやりたいなと考えていたので断りました)

色々思案しましたが、元々モヤモヤしていた「不動産会社さんの色々な悩みを解決したい!」を叶えるサービスを作ることに。

それがオウンドメディア「不動産会社のミカタ」です。

立ち上げ当初はまったくアクセスのない無名メディアでしたが、現在では月間10万人以上の不動産従事者の方に閲覧いただけるまでに成長いたしました。

また不動産実務サポートとして、1年目に追客を効率化する「追客自動化ステップメール」、2期目には一括査定の初期対応を代行する「初期対応コールセンター」もリリース。こちらも延べ500社以上の不動産会社様にご利用いただいております。

また、重説作成周りの課題を解決する「役所調査のミカタ」、営業人材育成のための「ミカタラーニング」など、常に新しいことにチャレンジをしています。

さらなる飛躍を目指して

そんな弊社が目指しているのは

  • いい不動産業界を作る
  • どこに行っても通用する人材を育成する

この2点です。

「いい不動産業界を作る」

私の社会人生はすべて不動産業界です。
不動産業界に育てられ、今があると言っても過言ではありません。
そんな業界に少しでも恩返しをするために「いい不動産業界」を作ってい行きたいと考えています。
そのためには、

・不動産で働きたい!という人を増やす
・入社後ちゃんと営業できるようになる

の2つの要素が最も重要だと考えています。
現在弊社が行っている事業は全てこの2つに紐づいていますし、今後もこの2つの要素を
大事にしながら事業展開をしていきます。

どこに行っても通用する人材を育成する

これは弊社で働いているメンバーに対しての想いです。
今後世の中は「個の時代になる」と言われています。
その中で「その会社でしか通用しない人材」というのは、非常にリスクが高いことです。
ゆうなれば人生を握られていると言ってもいいかもしれません。
究極私の気分一つで最悪な人生を歩んでしまう、、そんなことも可能性としてはありえます。

弊社で働いてる方にはそんな思いはしてほしくありません。
だから弊社では「どこに行っても通用する人材になってほしい」と常日頃メンバーに発信しています。

また、そのためには日々新しいことへのチャレンジが必要不可欠です。
そのチャレンジが延いては「いい不動産業界」に繋がると信じています。

最後に

以上がミカタ社立ち上げの経緯と、弊社が目指している世界です。
この夢の実現のためにはまだまだ協力いただけるメンバーが足りません。

もし少しでも興味を持っていただけたら、ぜひ一度お話をさせてください。

できればお互い本音で話しをしたいので、面接という形式ばった形ではなく、食事やお茶をしながらでも大丈夫です。
ぜひお気軽にお問合せください。